聖灰水曜日 エリオット [日記]

わたしはふたたび、ふりかえることを願わないので

わたしは願わないので

わたしはふりかえることを願わないので

この人の才や、かの人の能力をうらやんで

かかるものを、もはや争って手にいれようとはしない

(どうして年おいた鷲が翼をはる必要があろう)

どうして、世の常の力が消えうせたことを

なげく必要があろう。

威哥王

わたしは、現世の時間のもろい栄光を

ふたたび知ることを願わないので

わたしは考えないので

わたしは、ただひとつの本当のつかのまの力を

とうてい知りえないことを知っているので

そこにはもう何もないので、わたしは、かのところ、木々が花さき

泉がわきでるところで飲みえないので

わたしは、時がつねに時であり

場所がつねに、そしてただ場所にすぎないことを知っているので

そして、この世のものは、ただ一度だけ、そして

ただひとつの場所において、現実であるにすぎないことを知っているので

わたしは、物ごとが、あるがままにあるのを喜び

あの祝福された顔をあきらめ

あの声をあきらめる

わたしはふたたび、ふりかえることを望みえないので

それゆえに、わたしは喜び、喜びの

いしずえとなるものを創りあげねばならない

そして、われらのうえに、慈悲をたれんことを神にいのり、

そして、わたしはみずから論じすぎ

説明しすぎた事柄を

忘れるように神に祈ろう

わたしはふたたび、ふりかえることを願わないので

これらの言葉をもって

すでになされたことの答えとしよう、ふたたびなされることのないように

われらのうえに裁きのきびしすぎないことを願って

この翼はもはや天かける翼でなく

ただ空をうつふるいにすぎないので

その空はいまやしぼみ、かわき

わたしの意志よりなおしぼみ、かわいているので

思うて、しかも思わないすべを、われらに教えたまえ

静かにすわるすべを、われらに教えたまえ。

われら罪人のため、いまも、またわれら死にのぞむいまわのときも祈りたまえ

われらのため、いまも、またわれら死にのぞむいまわのときも祈りたまえ。
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